『日本書紀』では蘇我蝦夷、通称は豊浦大臣(とゆらのおおおみ)。 『上宮聖徳法王帝説』では「蘇我豊浦毛人」。 蝦夷の精強な印象を良いイメージとして借用した名前である(小野毛人や佐伯今毛人、鴨蝦夷らも「えみし」を名として使用している)。 蝦夷は蔑称であり、毛人が本名との説があるが「蝦夷」も「毛人」も同じ対象を指す。
蘇我入鹿の本名は?
(そもそも入鹿という名自体が後世つけられた蔑称であり、本名は大郎鞍作(たろうくらづくり)である。)
蘇我蝦夷 いつ死んだ?
645年に大化改新の手始めに中大兄皇子らに入鹿が殺されると、蝦夷は自宅に火をはなち自殺する。 これにより、蘇我氏の本家は滅亡。
なぜ乙巳の変が起こったのか?
乙巳の変は中大兄の権勢欲から起こったものだと言いましたが、なぜ権力を欲したかと言えば、こうした天皇中心の中央集権国家を作ろうという強い意志があったからだと説明することができます。 有力氏族であった蘇我氏が滅びたのですから、ほかの豪族の権力も削減されていったことは確かで、こうした改革ができる下地はできていました。
蘇我入鹿の父は誰?
蘇我蝦夷Сога-но Ирука / 父
