6〜7世紀前期の大和政権の大臣稲目の子。 父のあとをうけ大臣 (おおおみ) となった。 仏法を信仰し,排仏派の政敵物部守屋を587年滅ぼし専権をふるった。 のちみずから擁立した崇峻天皇を殺害し,妹堅塩媛 (きたしひめ) の生んだ推古天皇を擁立,摂政の聖徳太子とともに政治を指導した。
蘇我氏とはどんな人?
旺文社日本史事典 三訂版「蘇我氏」の解説 三蔵を管理し大和政権の財政に関与,渡来人を支配した。 積極的に仏教を採用し,排仏派の物部 (もののべ) 氏を滅ぼした。 稲目・馬子・蝦夷 (えみし) の3代は大臣 (おおおみ) として国政に参与したが,645年大化の改新で中大兄皇子 (なかのおおえのおうじ) らに滅ぼされた。
蘇我稲目 どんな人?
蘇我稲目そがのいなめ 6世紀の大和政権の大臣馬子の父。 512年大伴金村の失脚後,大臣 (おおおみ) として国政を統べ,娘を欽明・用明天皇の妃にして権力を握った。 仏教伝来に際し排仏派の物部尾輿 (もののべのおこし) と対立。 渡来人勢力を背景として力をふるい,仏教隆盛の基礎を築いた。
蘇我馬子は厩戸の何に当たる?
聖徳太子(厩戸皇子・うまやどのおうじ)は、推古天皇のもとで、蘇我馬子と共同で天皇を補佐したとされる人物です。
蘇我馬子 誰を滅ぼす?
達天皇即位587(用明2)蘇我馬子、物部守屋を滅ぼす。
