擦文文化 本州が飛鳥・奈良・平安時代(約1,400年から800年前)だったころの北海道には擦文(さつもん)文化という独自の文化がありました。 擦文とは、土器の表面に付けられた「木のへらで擦ったあと」のことをいいます。
オホーツク文化 いつから?
オホーツク文化(5~9世紀)と擦文文化(7~12世紀)は、北海道で8~9世紀ごろに出会いました。 オホーツク文化がおわり、10世紀になるとオホーツク文化と擦文文化の両方の特徴をもった土器がつくられるようになります。 このような土器を「トビニタイ土器」とよんでいます。 また、住居も両文化の特徴をもつようになります。
擦文文化 どこから?
擦文土器を伴う文化。 北海道,東北地方北部に分布し,8世紀頃より鎌倉・室町時代に及んだとされ,研究者によっては近世まで続いたとする。 北海道の続縄文文化に本州から北上した土師器 (はじき) を伴う文化が接触したと推定され,またアイヌ文化に先行する文化として考えられている。
オホーツク文化 なぜ消えた?
9世紀から10世紀の後期には、土器の様相が各地で異なる。 終末期の11世紀から13世紀には土器の地域的な差違がさらに明確化する。 9世紀に北海道北部では擦文文化の影響が強まり、オホーツク文化は消滅した。 同じ頃、北海道東部ではオホーツク文化を継承しながら擦文文化の影響を受けたトビニタイ文化が成立した。
続縄文文化 何世紀?
約1000年間にわたって続いた続縄文時代は、土器の型式の変化に基づいて、大きくは前半(紀元前4世紀~紀元1世紀ころ)と後半(紀元2~6世紀ころ)の2つに分けられています。
