1732年(享保17年)に「享保の大飢饉」(きょうほうのだいききん)が発生し、西日本の諸国は、甚大な被害を受けました。 享保の大飢饉は、「天明の大飢饉」(てんめいのだいききん)や「天保の大飢饉」(てんぽうのだいききん)と共に、江戸時代における三大飢饉のひとつに数えられているのです。
天保の飢饉 誰の時?
天保(てんぽう)の飢饉(ききん) 将軍・家斉(いえなり)のとき。 全国的なききん。 ききんで死者の大きい地域は東北や北陸だけでなく、関東や、大阪などの西日本をふくむ。 大阪は、この時代の商業の中心地である。
天保の飢饉なぜ起きたか?
主な原因は天保4年(1833年)の大雨による洪水や冷害による大凶作であった。 東北地方(陸奥国と出羽国)の被害が最も大きくかった。
享保の飢饉 なぜ?
享保の大飢饉は江戸の三大飢饉(享保・天明・天保)のひとつ。 享保の改革の最中に西日本を中心に発生した。 冷害や長雨などの天候不順と害虫の被害のため稲作が大打撃を受けて大飢饉となった。
天明の大飢饉はいつ?
天明の飢饉てんめいのききん 天明2(1782)年から同 7年にかけての全国的飢饉。 享保の飢饉,天保の飢饉と合わせて江戸時代の三大飢饉と称されている。 同 2年は天候不順で凶作,翌同 3年は春から冷雨が続き,さらに洪水,浅間山の大噴火(→天明浅間山噴火)のため大凶作となった。
