明治政府は中央集権体制を確立するため、1871年8月29日(明治4年7月14日 (旧暦))に廃藩置県を実施して国による直轄化を進めた。 府・県には「府庁所在地」「県庁所在地」が決められ、中央から派遣された知事・県令が統治する形となった。
県庁所在地はどうやって決めたの?
県庁所在地は主に、すでに人口が集中していた城下町・港町・門前町など商業地帯や交通の要所が選ばれる傾向にありました。 しかし、発展した地域であっても政情不安定による治安上の理由が絡んで設置都市にされないケースもあり、一概に最も栄えた人口の多い都市に置かれるとは言い切れません。
県庁所在地 いつから?
各都道府県に都道府県庁ができたのは、1871(明治4)年のことです。 「廃藩置県」が行なわれたこの年、全国各地の行政や政治を日本の中央政府(明治政府)が一元化することが決まり、全国に地方公共団体が設けられることとなりました。 このときに全国に置かれた地方公共団体は「府」と「県」のみでした。
47都道府県になったのはいつ?
戦後は、日本国憲法の下での地方自治法(1947年)によって、「都道府県」の性格はすべて同じものになりました。 都・道・府・県と4つの名で区別されるのは、歴史的ないきさつにすぎません。 沖縄復帰により「47都道府県」に戻ったのは1972年でした。
県名と県庁所在地が違うのはなぜ?
府県名と府県庁所在地名が違ってきたのは、実は、一八七一年十一月以降です。 廃藩置県が成功した後、三〇五府県を旧の国の規模の六三府県に統合する時に、名称の違う県が生まれてきたのです。
