八代将軍(しょうぐん)吉宗(よしむね)のころに、蘭学者(らんがくしゃ)の青木昆陽(こんよう)によって全国に広められました。 今の埼玉県川越市(かわごえし)あたりはサツマイモの産地で、江戸から十三里(じゅうさんり)あったので、ここから来る焼きいも屋のことを「十三里」とよんでいました。
さつまいもの普及 誰?
サツマイモの普及に努め、栽培奨励を幕府の政策に乗せたのが甘藷(かんしょ)先生として有名な青木昆陽(1698から1769)である。
さつまいも 飢饉 誰?
あおき‐こんよう〔あをきコンヤウ〕【青木昆陽】 [1698〜1769]江戸中期の蘭学者。 江戸の人。 初め 伊藤東涯 いとうとうがい に師事。 甘藷 かんしょ (サツマイモ)を救荒作物として普及に尽力し、甘藷先生とよばれた。
サツマイモの栽培が全国に広がったのは誰の時代?
琉球へは福建から1605年に入って栽培され始め、1609年以降薩摩の領有支配に伴って薩摩へと伝わり、主に九州地方で栽培されるようになりました。 そして江戸時代初~中期のたび重なる飢饉によって救荒作物として注目され、西南暖地を中心に全国に広く普及していきました。
さつまいも 普及 いつから?
青木昆陽は享保の大飢饉に際して将軍徳川吉宗によって登用された人物で、著作『蕃藷考』(1735)の中で飢饉のときの代用作物として栽培を奨励し、その結果サツマイモの栽培が急速に全国に広まりました。 昆陽の施策によって、後に起こった天明の飢饉では多くの人が命を救われたと言われています。
