川越にサツマイモのイメージが定着したのは、寛政時代(1700年代末)のことで、このころの江戸では焼イモが大ヒットしていたんだ。 理由は、サツマイモが庶民の食べ物では、数少ない甘い食べ物であったこと、そして、とても安く手に入ったからなんだ。 この大ヒットを受け、近郊の村々では、こぞって江戸向けのサツマイモを栽培したんだ。 3 янв. 2015 г.
青木昆陽 さつまいも なぜ?
青木昆陽は享保の大飢饉に際して将軍徳川吉宗によって登用された人物で、著作『蕃藷考』(1735)の中で飢饉のときの代用作物として栽培を奨励し、その結果サツマイモの栽培が急速に全国に広まりました。
関東 台地 さつまいも なぜ?
川越藩領のある武蔵野台地は、火山灰土である関東ローム層で覆われていて農業は厳しいとされていました。 そこで南永井村(所沢市)の吉田弥右衛門は、上総から種いもを取り寄せ、飢饉に強いというさつまいもの栽培を始めました。 そこから近隣の村々にも広がり、川越藩でさつまいも栽培が定着していきました。
時の鐘 なぜ?
時の鐘は、寛永4年(1627)から11年(1634)の間に川越城主酒井忠勝が、多賀町(いまの幸町)の現在の場所に建てたものが最初といわれています。 創建された江戸時代の初期から、暮らしに欠かせない「時」を告げてきた小江戸川越のシンボルです。 現在の鐘楼は、明治26年(1893)に起きた川越大火の翌年に再建されたもの。
川越 芋 どこ産?
本場「川越いも」とは 川越地方でとれるさつまいもを「川越いも(川越芋)」といい、その産地は、埼玉県川越市の南に広がる畑作地帯の武蔵野台地です。 つまり、川越市の福原・大東・高階地区、ふじみ野市、三芳町、所沢市、狭山市、新座市などの、関東ローム層が堆積している台地で収穫されるさつまいものことです。
青木昆陽 何した人?
青木 昆陽(あおき こんよう、元禄11年5月12日〈1698年6月19日〉 - 明和6年10月12日〈1769年11月9日〉)は、江戸時代中期の、幕臣御家人、書物奉行、儒学者、蘭学者。 サツマイモの普及を図り、甘藷先生(かんしょせんせい)と呼ばれる。
川越 いつからある?
ところで、川越城の起源は室町期の長禄元年(1457)まで遡る。 武将・扇谷上杉持朝が古河公方・足利成氏に対抗するため、太田道真・道灌父子に命じ築城させたのが始まりだ。
さつまいもはどこから来たの?
サツマイモは、メキシコを中心とする熱帯アメリカで生まれました。 紀元前800~1000年ごろには、中央アンデス地方でサツマイモがつくられていたのです。 紀元前200~600年につくられた、サツマイモをかたどった土器も見つかっています。 ペルー北海岸のあたりで栄えたモチーカ文化のものです。
さつまいも 何県?
サツマイモ(甘藷)の収穫量トップは鹿児島県の26.1万t(全国収穫量に占める割合 35%)です。 2位の茨城県が16.8万t(同23%)、3位の千葉県9.4万t(同13%)、4位の宮崎県8.1万t(同11%)で、上位4県で81%を占めています。
