その理由は江戸時代まで遡ります。 当時浅草にあったお寺・称往院には「道光庵」という庵があり、そこには信州出身の僧が住んでいました。 そば打ちが得意だったことも関係して、檀家の人達をもてなす目的でそばを提供したところ大評判になり、そばを目当てに訪れる人が増えました。
寺 そば なぜ?
寺社とそばの関係は深く、そばは五穀に入らないため精進を宗とする僧侶たちの重要な栄養源となってきました。 そのため、僧侶にはそば好き、そば通が多く、「寺方そば」としてお寺の中でもそばが振舞われてきそばがだんだんと門前町にも広がって「門前そば」となったとされています。
蕎麦 更科 なぜ?
そば打ちの腕前に長けていた信州出身の堀井清右衛門が、領主に布屋からそば屋への転身を勧められ、江戸の街に「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」の看板を掲げたのが始まりとされています。 更科の「科」の文字は、領主であった保科家に由来するのだとか。
