5世紀になると、それまで北海道に住んでいた人びとの文化とは大きく異なる文化をもった人びとが、サハリン(樺太)から北海道のオホーツク海沿岸にやってきました。 この人びとの文化を「オホーツク文化」とよんでいます。 このオホーツク文化は日本海沿岸にも広がり、もっとも南では道南の奥尻島にも遺跡が知られています。
オホーツク文化 なぜ消えた?
9世紀から10世紀の後期には、土器の様相が各地で異なる。 終末期の11世紀から13世紀には土器の地域的な差違がさらに明確化する。 9世紀に北海道北部では擦文文化の影響が強まり、オホーツク文化は消滅した。 同じ頃、北海道東部ではオホーツク文化を継承しながら擦文文化の影響を受けたトビニタイ文化が成立した。
オホーツクの由来は?
“オホーツク” という名前の語源は、ツングース語で 川 という意味の「Okata(オカータ)」や、ロシア語で 狩猟 という意味の「Okhota(オホータ)」とする説があり、オホーツク人とその文化は、海獣狩猟を行いながらオホーツク海沿岸に分布し、ロシア沿岸から私たちの住む北海道の北東沿岸へと広がり、根付いていきました。
擦文文化 どこから伝わった?
擦文文化 本州が飛鳥・奈良・平安時代(約1,400年から800年前)だったころの北海道には擦文(さつもん)文化という独自の文化がありました。 擦文とは、土器の表面に付けられた「木のへらで擦ったあと」のことをいいます。
オホーツク文化 何年?
約1500~800年前(5~12世紀)・続縄文時代の終わりから擦文時代に重なる頃、オホーツク海沿岸部を中心に分布していた文化です。 擦文文化をになった人々とは異なる外来の民族が残した文化で、住居のつくりや使っていた道具などから異なる生活文化をもつ人々であったことが分かっています。
