さらに律令時代では、国家的規模での集約的労働力の投下、進歩した土木・灌漑技術、国司の派遣による農業指導、農業奨励政策などを通じて、水稲耕作中心の農業基盤が確立しました。 これにより、耕地が拡大し米の生産量が増えるにしたがって、扶養できる人口数も大幅に増加したのです。
米の生産調整 なぜ?
米の作付面積の縮小や、転作(米以外の農作物をつくること)により米の過剰生産や在庫を削減し、価格低下を防ぐことを目的としている。 これにより農家は、生産量を抑制する代わりに、収入の安定が保証されてきた。
お米が作られるようになったのはいつ?
稲作の起源は、インドのアッサム地方から中国の雲南省にかけての山間との説が有力で、中国の長江(揚子江)中流の遺跡から約6500年前の水田跡や灌漑設備が発見されています。 日本に稲作が伝わったのは縄文時代の終期です。
米の生産量が多いのは何地方?
米の総生産量(8,607,000t) 米どころの新潟県(にいがたけん)が1位(い)。 北海道(ほっかいどう)が2位、秋田県(あきたけん)が3位となっています。 米の総生産量(そうせいさんりょう)は8,607,000tです。
日本でお米が主食になったのはなぜ?
日本の気候に合っている 縄文時代の後半から弥生時代にかけて、中国から日本に稲作が伝わり、今もなお、お米が栽培され続けています。 日本人の主食にお米が選ばれた理由の一つは、稲の生育に適した日本の気候です。 夏は気温が高く、雨の多い日本の気候は、稲がよく育つ条件を備えています。
