弥生時代には,むらとむらの争いが起こるようになりました。 米づくりに必要な土地 や水,食料のたくわえなどをめぐって対立するようになったからです。
弥生時代 米 作り 争い なぜ?
では、なぜ弥生時代になって、戦争が起こるようになったのでしょう。 最大の理由は、水田稲作の成功によって、ムラに守るべき財産が生まれたということでしょう。 縄紋時代のムラには、生活を支える以上の大きな蓄えや富がなかったのです。 つまり、戦争の経済的動機が薄かったのです。
米作り 争い なぜ?
米作りによって食生活が安定すると、人口が増えます。 人口が増えるとさらに水田を広げる必要がうまれ、となりあったムラの間で土地のうばいあいが始まります。 また、水田の場合は、土地のうばいあいだけではなく、水田に引く水のうばいあいも起こります。 このような土地や水のうばいあいが戦争へと発展したと考えられます。
稲作が始まって社会はどのように変化したのか?
「稲作は、アジアから移り住んだ人々がもたらし、弥生時代に各地に広まった」。 「稲は長期間保存できるので、人々は稲をたくわえ、食糧に困らなくなった」。 「その結果、人口が増え、大きなムラができるようになった」。 「大きくなったムラ同士で、食糧や土地をめぐって争いが起きるようになった」。
弥生時代 濠 なぜ?
「なぜ環濠集落がつくられたのか?」の答えは「人々の暮らしと財産を守るため」と考えます。 稲作によって米が実り、それを蓄えることで、米は「財産」になります。 その財産(米や収穫物)を守るためにつくられたのが「高床倉庫」です。
