約13,000年続いた縄文時代も終わり、約2,400年前に北部九州へ弥生(稲作)文化が伝わりました。 その伝来ルートについては諸説ありますが、中国・山東半島から朝鮮半島経由説が有力です。 3 июн. 2021 г.
縄文時代 稲作 どこ?
そう、縄文晩期、東北を中心に縄文最後の一大ムーブメント「亀ヶ岡文化」が花開いていた頃、北九州では渡来人が持ち込んだ農耕文化がひっそりと産声をあげていたのでした。 佐賀県の菜畑(なばたけ)遺跡は、現在のところ日本で最古の水田稲作の跡地です。
稲はどこからきた?
生まれは中国南部の山岳地帯 イネは、中国南部の雲南(うんなん)~ラオス、タイ、ビルマ周辺に広がる山岳地帯で生まれたとされています。 そこから北の方に広がっていったのが、寒さにつよいジャポニカという種類(しゅるい)のイネです。 中国などの温帯での栽培(さいばい)にむくイネです。
弥生人はどこから来たのか?
弥生人(やよいじん)は弥生時代に日本列島に居住した人々。 大きく、弥生時代に大陸や朝鮮半島等から日本列島に渡来してきた「大陸系弥生人」、縄文人が直接新文化を受け入れた結果誕生した「縄文系弥生人」、および両者の混血である「混血系弥生人」とに分けられる。
稲作はいつの時代から?
日本の稲作は紀元前3世紀に始まります。 中国・揚子江(ようすこう)の流域で発達した技術が、農具とともに伝えられたのです。 最初、農具は木でつくられたものでしたが、鍬(くわ)をはじめとして、たくさんの種類がすでにそろっていました。 当時の水田はすべてが低湿地の沼田だったので、木製でも十分に役に立ったのです。
