このように武士が力を強めると,今まで貴族や寺社の所有物だった荘園に地頭という形で武士が進出してきました. 武士は自分達の取り分を増やし,経済力を強めるために当時最大の産業であった農業の生産高をあげるために努力しました. その結果として「農業技術」が進歩し,西日本では二毛作が始まったのです.
鎌倉時代 二毛作 なぜ?
二毛作は鎌倉時代に始まりました。 牛や馬の糞を肥料として使えるようになって、土地の生産力が上がったからです。 同じ土地で、一年に2回、違う作物を作る二毛作は、鎌倉時代、牛馬の糞を肥料にして土地の生産力が上がったことから始まりました。 米と麦の二毛作です。
奈良時代開墾なぜ?
奈良時代における国家の繁栄はめざましいものでしたが、粗・庸・調や労役の負担に苦しむ農民のなかには、口分田や家を捨てるものが増えてきました。 また人口も増加したので、722年(養老6年)、朝廷は田地を増やすために百万町歩開墾計画を立て、723年(養老7年)には、三世一身法を出して開墾をすすめました。
なぜ二期作ができるのか?
日本の気候は、夏にイネ、冬はムギを作るのに適していることから、年内の異なる時期にこの2つの作物を交互に同じ田んぼで作っていて、これを二毛作といっていました。 二期作は、同じ田んぼでイネを1年に2回作ることで、沖縄県(おきなわけん)のようによほどあたたかいところでないとできませんでした。
二毛作が広まったのはいつ?
日本で二毛作が広まったのは鎌倉時代で、畿内や西日本一帯に、稲を表作とし麦を裏作とする二毛作が普及した。 その後、南北朝時代には、二毛作は関東地方でも行われるようになった。
