まみや‐りんぞう〔‐リンザウ〕【間宮林蔵】 名は 倫宗 ともむね 。 伊能忠敬らに測量術を学び、幕命により樺太(サハリン)を調査。 さらに海峡を渡って黒竜江下流を探検し、樺太が島であることを確認した。
間宮林蔵 樺太探検 なぜ?
この北辺の地理と住民の状況を明らかにしてロシアの南進に備えようというのが、間宮林蔵の樺太探検の目的だった。
樺太調査 いつ?
1635年(寛永12年)、北海道を支配していた松前藩は、北海道全島及び千島、樺太を含む蝦夷(えぞ)地方の調査を行いました。 1644年(正保元年)の幕命により諸藩から提出された国絵図に基づいて、幕府が作成した日本総図(いわゆる「正保御国絵図」)には、「くなしり、えとほろ、うるふ」などの島名がはっきり記載されています。
蝦夷地 調査 誰?
弘化2年(1845年)第1回蝦夷地調査の足跡 武四郎28歳 初めての蝦夷地調査で、武四郎は函館から太平洋側の海岸線を歩いて知床岬へと達しました。 武四郎は古くから独自の文化を育んできたアイヌの人々に案内をしてもらいながら、調査を進めました。
間宮林蔵は何をした人ですか?
寛政11年(1799)師の村上島之允に従い、初めて蝦夷地に渡ってから、新道開発や植林、測量など、北辺で20年近く活躍し、蝦夷・千島・カラフトにおいて数々の華々しい業績を残しています。 間宮林蔵の業績の中で特に注目されるのは、「間宮海峡」を発見したカラフト探査です。
