最上徳内もがみとくない 江戸後期の北方探検家羽前(山形県)楯岡の農家出身。 江戸に出て本多利明に天文・測量などを学び,1785年利明にかわり幕府の蝦夷 (えぞ) 地探検に参加,択捉 (えとろふ) ・得撫 (うるつぷ) 島を調査した。 '90年幕府普請役(隠密)となり,1808年まで9回蝦夷地に渡った。
最上徳内 何した人?
最上 徳内(もがみ とくない)は、江戸時代中期から後期にかけての探検家・江戸幕府普請役。 出羽国村山郡楯岡村(現在の山形県村山市楯岡)出身。 元の姓は高宮(たかみや、略して高(こう)とも)。 諱は常矩(つねのり)。
間宮林蔵は何をした人ですか?
寛政11年(1799)師の村上島之允に従い、初めて蝦夷地に渡ってから、新道開発や植林、測量など、北辺で20年近く活躍し、蝦夷・千島・カラフトにおいて数々の華々しい業績を残しています。 間宮林蔵の業績の中で特に注目されるのは、「間宮海峡」を発見したカラフト探査です。
最上徳内の読み方は?
最上 徳内(もがみ とくない)は、江戸時代中期から後期にかけての探検家・江戸幕府普請役。
近藤重蔵 何した人?
1802年には、択捉島が日本の領土であることを示すため、島に木柱を立てました。 その後も5回にわたって蝦夷(えぞ)・樺太(からふと)・千島を探検し、道路の建設や航路(こうろ)の開拓に力を入れ、北方地域の地図も作成しました。
