5世紀後半、中国の歴史書である『宋書夷蛮伝(そうじょいばんでん)・倭国(わこく)条』でエミシははじめ「毛人(もうじん)」と表記され、大和朝廷からみて東国(あずまのくに)に住む人々を指しました。
7世紀 蝦夷征討 誰?
7世紀の半ば、朝廷は日本海側に渟足柵(ぬたりのさく)、磐舟柵(いわふねのさく)を設置すると、658年には阿倍比羅夫(あべのひらふ)を派遣して、秋田・津軽地方まで遠征させ、北方の蝦夷と関係を結んだ。
蝦夷とはどんな人?
北陸・関東北部から東北地方にかけて住み,朝廷に服従していなかった人々のことです。 蝦夷(えみし)は,大和(やまと)政権の時代から,東北地方で大きな勢力を持っていたといわれています。 言葉や風習も違って,朝廷から異民族と見られていたようです。
801年にだれが蝦夷地(えぞち)を平定(へいてい)しましたか。?
延暦20年(801年)には征夷大将軍坂上田村麻呂が遠征し勝利した。
蝦夷征討 いつから?
蝦夷征伐は、大和朝廷の時代から度々行われてきましたが、奈良時代になると、激しさを増します。 延暦8年(789)、 巣伏 すぶせ 村(現水沢市辺り)で、 征東将軍紀古佐美 せいいたいしょうぐんきのこさみ 率いる朝廷軍とアテルイ率いる蝦夷軍が戦い、朝廷軍が大敗するという「巣伏村の戦い」が起こりました。
