もがみとくない【最上徳内】 江戸末期の北方探検家。 出羽国村山郡楯岡村(現,山形県村山市)の農民の子。 1781年(天明1)江戸に出て幕府の医師山田宗俊(図南)の家僕となり,のち本多利明の音羽塾に入って天文,測量を学んだ。
蝦夷地とはどこ?
現在の北海道を中心に,樺太 (からふと) ・千島を含む地の総称蝦夷 (えぞ) の土地の意。 古代には,東北地方をも含めていたが,江戸時代には,主として松前地方を除く北海道をさすようになった。
最上徳内 派遣いつ?
千島へのロシアの活発な進出を知った幕府は、みずから北方の島々の経営に本格的に取り組むこととし、1785年(天明5年)及び1791年(寛政3年)に最上徳内らを調査に派遣しました。
最上徳内 何をした人?
徳内は蝦夷地での活躍を認められ、越冬して翌天明6年(1786年)には単身で再び国後島へ渡り、択捉島、得撫島へも渡る。 択捉島では交易のため滞在していたロシア人とも接触、ロシア人の択捉島在住を確認し、アイヌを仲介に彼らと交友してロシア事情を学ぶ。
樺太調査 誰?
まみや‐りんぞう〔‐リンザウ〕【間宮林蔵】 名は 倫宗 ともむね 。 伊能忠敬らに測量術を学び、幕命により樺太(サハリン)を調査。 さらに海峡を渡って黒竜江下流を探検し、樺太が島であることを確認した。
