明治初期の北海道は、函館(はこだて)に若干の砲兵が配置されたほかは、軍隊の配置がありませんでした。 そこで、平時(戦争がない時)は農業に従事し、戦時には軍隊として活動できる人々を北海道に設置することが検討されます。 こうして、「農民でありながら軍人でもある」屯田兵が北海道に設置されることになったのです。 24 сент. 2019 г.
屯田兵制度の目的は?
屯田兵制度は、明治政府が北海道の開拓と北方警備を主な目的として、兵農両面を担う人員を北海道の各地に組織的・計画的に移住・配備していくことを内容とした制度で、黒田清隆の建議によって1873(明治6)年12月25日に制度実施が決まった。
屯田兵はどんな人?
屯田兵とんでんへい 中国屯田制にならって平時農耕に従事し,戦時に兵務に従事する辺境防備の農兵。 明治維新以後,北海道開拓のため派遣されたものに対して特に用いられた。 ロシアの南下政策に対抗するため,開拓使次官黒田清隆は,士族授産と現地警備力の増強を兼ねて開拓民を士族から募集することを建白し,裁可された。
屯田兵はどこから来た?
太政官は黒田の提案に賛成し、1874年(明治7年)に屯田兵例則を定めた。 1875年(明治8年)5月、札幌郊外の琴似兵村への入地で、屯田が開始された。
北海道開拓民 なぜ?
当時は、北海道開拓という名で推進されていた。 その目的は、一つは、シベリア開発以降、樺太まで迫っていたロシアの南下政策に対する防衛であり、もう一つは、欧米列強に対抗するために、国内で急速に資本主義を育成するため、多くの天然資源が眠る北海道を開発し、国家の経済的国力を高めるためであった。