「最初は士別へ行くのか剣淵へ行くのか分からなかったのですが、荷物を出す時 . 屯田兵には 5 町歩の土地が与えられたが、この分配の仕方は各兵村でまちまちである。
屯田兵制度は終焉を迎えましたか?
以降は縮小し、開拓が十分に進んだとして、明治37年(1904年)終焉を迎えます。 このころになると、毎年年間6万人ほどの移民がやってくるようになっており、屯田兵制度はその役割を終えたわけです。 屯田兵の出身地内訳を見ると、東北だけではなく西日本からもいます。
屯田兵は政府に雇われて行ったのですか?
屯田兵は政府に雇われて行っているので、支度のための資金や農具などの支給はあったものの、農地が内地よりもずっと野生の自然に近く、寒さの他にも害虫や獣害との闘いも一筋縄ではいきませんでした。 ヒグマによる被害もあり、 三毛別羆事件 なんか現在もよく知られていますね。 また、屯田兵は「兵」ですから、農業や開拓以外の仕事に軍事的なシゴトもありました。 西南戦争 のときにははるばる九州まで行って参戦し、増援のため予備兵まで作られるほどです。 予備兵のほうは、訓練が終わるまでに戦闘が終わりかけて戦闘はしなかったものの、その後、戦時と年一度の演習にだけ招集されることになったのでムダにはなりませんでした。 現在の自衛隊の予備役に近い感じでしょうか。
屯田兵の身分制限はありますか?
そのため、当初の屯田兵は「士族の出であること」という身分的な制限がありました。 「士族屯田」と呼ばれ、後に平民も含まれるのですが(こちらは平民屯田)、身分制限中もいいところの養子になって条件を満たす人はいたそうです。
明治八年1月12日は屯田兵の募集が開始されましたか?
明治八年(1875年)1月12日は、 屯田兵 の募集が開始された日です。 北海道を開拓した人々として有名ですが、どんな暮らしをしていたのかなどは意外に知られていませんよね。 農業も兵役も単独で充分重労働ですが、それを慣れない土地で寒さに耐えながら……というのは、想像を絶する厳しさだったに違いありません。 警備と開拓を兼ねた有意義な仕事だと!? 警備と開拓を兼ねた有意義な仕事だと!? 元々北海道の扱いについては、 江戸時代 や幕末にもたびたび話題になっていました。 維新前に 坂本龍馬 が「 大政奉還 後の武士の働き先」として考えていて、結果的にはこれがそのまま採用されたような形になります。 明治政府も、北方警備と開拓を兼ねられて有意義な仕事だと思っていたようですしね。
