旺文社日本史事典 三訂版「屯田兵」の解説 1873年,開拓使次官黒田清隆の提案により設置。 士族授産を兼ね,1904年廃止されるまでに約4万人を動員,37兵村を営み2万382町歩を開拓,新社会の建設に貢献した。
屯田兵 どんな人?
明治維新後、旧幕府側の武士たちは、禄を奪われ窮乏しました。 屯田兵とは、そのような士族の救済と北海道の開拓、北方警備を担うために、明治政府によって北海道各地に組織的・計画的に移住・配備された人たちのことを指します。
屯田兵 何のために?
屯田兵制度は、明治政府が北海道の開拓と北方警備を主な目的として、兵農両面を担う人員を北海道の各地に組織的・計画的に移住・配備していくことを内容とした制度で、黒田清隆の建議によって1873(明治6)年12月25日に制度実施が決まった。
屯田兵制度 誰?
新政府で北海道に屯田兵の設置を主張したのは西郷隆盛と言われていますが、彼の影響を受けた開拓使長官・黒田清隆が建議し、明治7年に制度が制定され、翌8年、札幌郊外の琴似兵村で兵屋200戸を建築、宮城・青森・酒田3県および北海道内からの志願者193戸、965人が移住したのがはじまりでした。
屯田兵 どこからきた?
明治23年(1890)に北太平洋(厚岸湾)の警備と開拓を行うため、本州から屯田兵440戸が太田村に入植してきた、とありました。 歴史を見ると、江戸時代からロシアの南下政策があり、アイヌ部落が度々襲われるという事件があり、幕府も南部藩、津軽藩の武士を派遣し警備に当たらせていた。
