どう‐たく【銅鐸】 〘名〙 彌生時代の青銅製儀器。 ベル状で、舌(ぜつ)をもつ少数例があるので、楽器としての機能もあったと考えられるが、宗教的儀器・宝器として用いられたものが主。 身は鐘を扁平にしたような形で薄く、曲線・直線の幾何学文を付し、人物・動物・家屋などが鋳出されているものがある。
銅鐸はどのように使われた?
弥生時代の人びとが、農作物の五穀豊穣を願うお祭りの道具として、使っていたと考えられています。 弥生時代前期に作られ始めた頃、形は小さくひもで吊り下げて鳴らす「聞く銅鐸」でしたが、時代とともに大きくなり、飾りもきらびやかになり「見る銅鐸」に変わっていきました。
銅鐸が作られたのは何時代?
銅鐸とは、弥生時代に青銅製の鋳物でつくられた、つり手=鈕(ちゅう)と振り子=舌(ぜつ)をそなえ、紋様を有するベルです。 銅鐸の発見は『扶桑略記』(ふそうりゃくき)天智天皇7年(668)条に滋賀県大津市に崇福寺(すうふくじ)を建立する際、宝鐸(ほうたく)が発見されたとするものが最古の記録です。
銅鐸何文化?
銅鐸の起源については、中国で作られ始め、朝鮮半島に伝えられた銅の鈴であろうといわれています。 朝鮮半島の銅鈴は、多鈕細紋鏡(たちゅうさいもんきょう)という特殊な凹面鏡や銅剣(どうけん)とともにお墓に入れられていることが多いのです。
銅戈の用途は?
元来は戦車などでの戦闘で適した形状として発達した武器であるが、日本や朝鮮半島では刃部のみが大型化した形態として発掘される。 日本における銅戈はその形状や使用痕が殆んどないことから、戦闘用ではなく祭礼用であろうと推測される。
