天保(てんぽう)の飢饉(ききん) 将軍・家斉(いえなり)のとき。 全国的なききん。 ききんで死者の大きい地域は東北や北陸だけでなく、関東や、大阪などの西日本をふくむ。
天候不順による飢饉に備える 誰?
未来も救った米沢藩・上杉鷹山の制度設計 藩主に就任した鷹山は、過去の経験から米・穀物や金銭を貯蔵しておく「備荒貯蓄制度」を開始して、飢饉に際しての準備をしていた。 1783年になると天候不順が続き"大凶作"が懸念され始める。
天保の飢饉 いつ?
なかでも「江戸四大飢饉」のひとつと言われるのが「天保の大飢饉」(てんぽうのだいききん)。 1833~1836年(天保4~7年)の間に連続的に飢饉が起こり、何万人もの大量の餓死者を出したと言われているのです。
さつまいも 飢饉 だれ?
青木 昆陽(あおき こんよう、元禄11年5月12日〈1698年6月19日〉 - 明和6年10月12日〈1769年11月9日〉)は、江戸時代中期の、幕臣御家人、書物奉行、儒学者、蘭学者。 サツマイモの普及を図り、甘藷先生(かんしょせんせい)と呼ばれる。
享保の飢饉 いつ?
1732年(享保17年)に「享保の大飢饉」(きょうほうのだいききん)が発生し、西日本の諸国は、甚大な被害を受けました。 享保の大飢饉は、「天明の大飢饉」(てんめいのだいききん)や「天保の大飢饉」(てんぽうのだいききん)と共に、江戸時代における三大飢饉のひとつに数えられているのです。
