18世紀半ばには、ロシア人が千島列島を南下してアイヌと接触し、日本との通交を求めた。 松前藩はロシア人の存在を秘密にしたものの、ロシアの南下を知った幕府は、天明5年(1785年)から調査の人員をしばしば派遣し、寛政11年(1799年)に藩主・松前章広から蝦夷地の大半を取り上げた。
松前藩 何をした?
旺文社日本史事典 三訂版「松前藩」の解説 徳川家康から蝦夷地での交易権を得,福山(松前)に居城し松前氏を称した。 産米がないため石高はなかった(のち5万石格)が,アイヌの漁獲物を交易して利益を得た。 江戸後期と幕末に,ロシア対策と箱館開港などから2度天領となったため,陸奥(福島県)梁川 (やながわ) などに移封された。
松前藩の交易は?
1604年に江戸幕府・徳川家康は黒印状を松前藩に与えて、蝦夷地での交易独占を許可しました。 本州の藩とは異なり、米を得ることができなかったので、アイヌとの交易が専らの収入源でした。 これにより蝦夷地独特の「商場知行制」「場所請負制」が広まることになりました。
幕末の藩一覧は?
幕末の藩一覧朝廷(17名) 石高:3万石 藩主:明治天皇(天皇家)徳川幕府(57名) 石高:800万石 藩主:徳川慶喜(徳川家)会津藩(26名) 石高:28万石 藩主:松平容保(松平(保科)家)薩摩藩(40名) 石高:72万8700石 藩主:島津忠義(島津家)
松前藩の蝦夷地支配は?
「蝦夷地」(えぞち)と呼ばれた、現在の北海道の一部を所領して成立した「松前藩」(まつまえはん)は、「蠣崎慶広」(かきざきよしひろ)がときの権力者であった豊臣秀吉、徳川家康から、蝦夷地における交易の独占権を認められたことにより、始まりました。
