日本大百科全書(ニッポニカ)「シャクシャインの戦い」の解説 1669年(寛文9)、東蝦夷地(ひがしえぞち)シブチャリ(北海道新ひだか町)に拠点をもつアイヌの首長シャクシャイン(? ―1669)が起こした蜂起(ほうき)。
シャクシャインの戦い 何時代?
シャクシャインは、は江戸時代前期に現在の北海道日高地方を拠点とするメナシクルという集団を率いていました。 彼は当時、アイヌを実質的に支配していた松前藩に対し、寛文9年(1669)6月に蝦夷地でアイヌ諸氏族を糾合して反乱を起こします。
シャクシャインの戦いは何年?
1669年(寛文9)、東蝦夷地(ひがしえぞち)シブチャリ(北海道新ひだか町)に拠点をもつアイヌの首長シャクシャインが起こした蜂起(ほうき)。 この蜂起は東西蝦夷地の各地に波及し、鷹待(たかまち)(鷹匠)や商船の船頭など日本人390人余(『津軽一統志(つがるいっとうし)』)が殺された。
シャクシャインの最後は?
戦いの長期化による交易の途絶や幕府による改易を恐れた和睦の申し出だったが、シャクシャインはこの和睦に応じ11月16日(10月23日)、ピポク(現新冠郡新冠町)の松前藩陣営に出向くが和睦の酒宴で謀殺された。
松前藩 いつから?
慶長九年(1604年)一月に徳川家康から安堵状が与えられ、蝦夷地の領地権、徴役権、交易の独占権を得て、日本最北の藩松前藩が成立しました。
シャクシャインの戦いとは何ですか?
「シャクシャインの戦い」は、結果論を言ってしまうと、勢力も大きな幕府軍が アイヌの人たちをだまし討ちした戦いととらえることができます。 アイヌの人たちを率いたシャクシャインは、アイヌの誇りとされ、現在ではシャクシャインの像と共に「シャクシャイン記念館」ができています。
シャクシャインの戦いはアイヌの敗北ですか?
シャクシャインの戦いはアイヌの敗北。 松前藩は 場所請負制 ばしょうけおいせい という仕組みを作って、アイヌをこれまで以上に酷使するようになりました。 シャクシャインの戦いが起こった当時のアイヌと和人の関係は?
シャクシャインが死んだ理由は何ですか?
シャクシャイン死因(毒殺? ) シャクシャインが死んだ理由は明らかにされていませんが、 お酒の席で殺されたという線が濃厚です。 和睦条約を結んだ後に、松前藩の一部とシャクシャインは宴を開きました。
シャクシャインと松前藩はどちらが勝ったのですか?
シャクシャイン達は自分達の住んでいた場所まで後退し、奥地で徹底抗戦を行う事を決めます。 戦いは松前藩、アイヌ共に早く決着をつけたかったのですが、戦いは長引きます。 松前藩にとっては戦いが長引くと、幕府に取り潰しの口実を与えてしまいます。
