日露協約にちろきょうやく 日本とロシアが英米の東アジア進出に対抗する目的で、1907年(明治40)から16年(大正5)まで4回にわたり締結した協約。 日露戦後からワシントン体制成立までの日本外交の基本路線を日英同盟とともに規定した。
日露協商 何年?
日露戦争後の1907~16年、4次にわたる日本とロシアの東アジアでの帝国主義的勢力分割協定。 主としてアメリカの満州進出に対抗する秘密軍事同盟であった。
日露協約 第何次?
日露協約(にちろきょうやく)は、日露戦争後に締結した、日本とロシア帝国がお互いに権益を認め合った4次に亘る協約。 1907年7月30日に第1次条約が調印され、1916年7月3日に第4次条約が調印された。
1906年の戦争は?
日露戦争にちろせんそう 1904年(明治37)2月より翌1905年9月まで、日本とロシアが朝鮮と南満州(中国東北)の支配をめぐって戦った戦争。 日本は12万の戦死、廃疾者を出し戦費15億円を費やした。
1902年の戦争は?
1902年(明治35年)、日本はイギリスと同盟(日英同盟)を結び、勢力を強めるロシアに対抗しました。 1904年(明治37年)に日露戦争がおこり、日本軍は戦いを有利に進め、アメリカとイギリスは日本をバックアップしました。