アイヌの人々との交易は、室町時代の頃から、盛んに行われるようになります。 交易拠点となったのは、青森県津軽半島の「十三湊(とさみなと)」。 これまでの調査で、領主の館跡と思われる土塁(どるい)や、かつての主要道路、民家の跡などが見つかっています。
和人とアイヌの交易は?
アイヌと和人はさかんに交易を行い、中国の陶磁器や銅銭が北海道へ、逆に北海道のコンブやサケが本州へと運ばれました。 交易の拠点となったのは、豪族安東氏が「蝦夷管領」として支配する津軽半島の十三湊(とさみなと)でした。 このころ道南地方には、和人の10数の館(たて)があったことが知られています。
松前藩の交易は?
1604年に江戸幕府・徳川家康は黒印状を松前藩に与えて、蝦夷地での交易独占を許可しました。 本州の藩とは異なり、米を得ることができなかったので、アイヌとの交易が専らの収入源でした。 これにより蝦夷地独特の「商場知行制」「場所請負制」が広まることになりました。
アイヌ民族の交易品は?
アイヌ民族は、このように、狩猟や漁労、採集によって手に入れた物を加工し、和人への交易品 としました。 そして和人から、米、酒、たばこ、鉄製品、漆器、木綿などを手に入れました。 13∼19世紀前半の 「蝦夷地のころ」は、和人による支配の強まりとともに、アイヌ民族の交易活動の自由がしだいに奪われて いく時期でした。
アイヌ 和人 いつ?
16世紀半ば、北海道に初めて和人の移住地域(和人地)が定められた。 それ以前は、日本の中世国家にとって支配領域外の地であり、流刑地でもあった。 和人地は、東は志利内(現・知内町内)(しりうち)から西は上之国(現・上ノ国町内)(かみのくに)の天の川までとされたが、当初は和人地にもアイヌの人々が多く住んでいた。
