しかし、西行は「北面」というエリート・コースを捨て、1140年、22歳の若さで出家する。 出家の理由は複数あって、(1)仏に救済を求める心の強まり(2)急死した友人から人生の無常を悟った(3)皇位継承をめぐる政争への失望(4)自身の性格のもろさを克服したい(5)“申すも恐れある、さる高貴な女性”との失恋。
西行法師 何をした人?
崇徳上皇の霊を慕って讃岐へ行脚したさすらいの歌人『西行法師』 俗名は佐藤義清、鳥羽上皇にも仕えた北面の武士であり、武術だけでなく和歌にも長けており崇徳上皇とも親交があった人物です。 23歳の時に妻子を捨てて出家し「円位」と名のり、後に「西行」と称しました。
西行出家いつ?
法名円位。 佐藤氏は平将門を討った藤原秀郷(俵藤太)の子孫で,富裕な武門の家であった。 西行は若くして鳥羽院の北面の武士となり,院に目をかけられたが,1140年23歳で出家。
西行法師は何時代の人?
「新古今和歌集」や「小倉百人一首」などで有名な、平安時代末期の歌人で、僧侶でもある西行法師。 今年で生誕900年を迎えます。
西行は何宗?
高野山の西行 高野山 空海=弘法大師は、平安時代初頭に唐にいき、長安の青龍寺で恵果(けいか)から密教を学び、日本に帰国後、真言宗を開いた。 高野山金剛峯寺はその総本山。
