屯田兵とんでんへい 中国屯田制にならって平時農耕に従事し,戦時に兵務に従事する辺境防備の農兵。 明治維新以後,北海道開拓のため派遣されたものに対して特に用いられた。 ロシアの南下政策に対抗するため,開拓使次官黒田清隆は,士族授産と現地警備力の増強を兼ねて開拓民を士族から募集することを建白し,裁可された。
屯田兵 どこの人?
『北海道屯田兵制度』によると、屯田兵の出身地は、神奈川、宮崎、沖縄の3県を除いて全国に広がっていた。 最多は、石川県の404戸2,301人で、これに福岡県(347戸)香川県(335戸)山形県(333戸)徳島県(329戸)が続いている。
屯田兵 何のために?
屯田兵制度は、明治政府が北海道の開拓と北方警備を主な目的として、兵農両面を担う人員を北海道の各地に組織的・計画的に移住・配備していくことを内容とした制度で、黒田清隆の建議によって1873(明治6)年12月25日に制度実施が決まった。
屯田兵の仕事は?
明治維新後、旧幕府側の武士たちは、禄を奪われ窮乏しました。 屯田兵とは、そのような士族の救済と北海道の開拓、北方警備を担うために、明治政府によって北海道各地に組織的・計画的に移住・配備された人たちのことを指します。
北海道開拓の人物は?
四人とは黒田清隆、ホーレス・ケプロン(米国農務局長、明治4年開拓顧問)、岩村通俊(土佐藩、明治19年初代北海道庁長官)、永山武四郎である。 高倉はこの四人を、北海道開拓に対する熱情、仕事において比類なき人物と評し、この本に序文を寄せた北海道知事町村金五は「(北海道)黎明期の偉材」と称した。
