シャクシャインは、シベチャリ(現在の新ひだか町)以南の日高地方及びそれ以東の集団であるメナシクルの惣乙名であった。 メナシクルは、現在の新冠町から白老町方面にかけての集団であるシュムクルとシベチャリ川(静内川)流域の領分を巡って遅くとも1648年から対立していた。
シャクシャインの乱は、なぜおきた?
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。 シャクシャインの戦い(シャクシャインのたたかい)は、1669年6月にアイヌでシブチャリの首長シャクシャインを中心として起きた蜂起。 アイヌ2部族の抗争、報復の最中に松前藩に対する武器貸与要請の使者に関する誤報から、松前藩への大規模な蜂起に発展した。
シャクシャインとはどういう人か?
?-1669 17世紀中ごろのアイヌの指導者。 東蝦夷(えぞ)シブチャリ地域(北海道静内)の首長。 1669年和人中心の交易政策をすすめる松前藩に抗して蜂起(ほうき),2ヵ月におよぶ全アイヌ民族的な戦い(シャクシャインの戦い)に発展。
松前藩は今の何県か?
松前藩(まつまえはん)は、松前島(夷島)松前(渡島国津軽郡を経て現在の北海道松前郡松前町)に居所を置いた藩である。
シャクシャイン像 撤去なぜ?
旧像は「胆振東部地震で倒壊の危険性が高まった」との理由で町役場(像の所有権者)によってすでに撤去された。 もの言わぬ立像とはいえ、この「シャクシャインの印象の差し替え」は、最近の日本政府と先住民族アイヌとの関係の変化を示唆しているように思える。
