1895年,清は降伏し,下関で講和会議を開いて下関条約を結びました。 これによって,清は朝鮮の独立をみとめ,遼東半島・台湾などを日本にゆずり,多額の賠償金(今の約3億1000万円)をしはらうことになりました。 また、日清戦争の結果,日本は国際的地位が向上し,大陸進出の足場を築きました。
日露戦争後どうなった?
日露戦争後、日本は韓国の外交権を奪い、「統監府(とうかんふ)」を設置しました。 初代統監となったのは伊藤博文です。 日本政府は韓国を保護国とし、さらに中国東北部(満州)の権益を守ろうとしたのです。 その後、日本政府は、韓国と不平等な条約を次々と結びました。
下関条約で日本が得たものは何ですか?
明治二八年(一八九五)四月、下関で日本と清国との間に締結された講和条約。 日本側全権は伊藤博文・陸奥宗光、清国側全権は李鴻章・李経方。 その内容は、朝鮮の独立確認、遼東(りょうとう)半島・台湾・澎湖諸島の割譲、賠償金二億両(テール)、沙市・重慶・蘇州・杭州で日本が商工業活動を行なうことなどを清国に承認させた。
日露戦争 何を得た?
講和条約の中で日本は、朝鮮半島における権益を認めさせ、ロシア領であった樺太の南半分を割譲させ、またロシアが清国から受領していた大連と旅順の租借権を獲得した。 同様に東清鉄道の旅順 - 長春間支線の租借権も得るに至った。
日本は何のために日清戦争をしたのか?
日清戦争の原因は、日清両国が朝鮮への影響力を拡大しようとねらっていたことです。 当時は中国が朝鮮の宗主国として強い力を持っていましたが、日本は朝鮮への影響力を強めて大陸進出の足掛かりにしたいと考えていました。
