旺文社日本史事典 三訂版「青木昆陽」の解説 蘭学の先駆者通称文蔵。 江戸の商人の子として生まれ,伊藤東涯に儒学を学んだ。 凶年の救荒作物として甘藷 (かんしよ) に注目,その栽培法を研究。 1735年『蕃薯 (ばんしよ) 考』を著し,将軍徳川吉宗に甘藷栽培の重要性を建白して採用され,「甘藷先生」といわれた。
青木昆陽 さつまいも なぜ?
青木昆陽とサツマイモ 青木昆陽は享保の大飢饉に際して将軍徳川吉宗によって登用された人物で、著作『蕃藷考』(1735)の中で飢饉のときの代用作物として栽培を奨励し、その結果サツマイモの栽培が急速に全国に広まりました。 ... この功績によって青木昆陽は「甘藷先生」とも呼ばれています。
青木昆陽はどんな人?
青木 昆陽(あおき こんよう、元禄11年5月12日〈1698年6月19日〉 - 明和6年10月12日〈1769年11月9日〉)は、江戸時代中期の、幕臣御家人、書物奉行、儒学者、蘭学者。 サツマイモの普及を図り、甘藷先生(かんしょせんせい)と呼ばれる。
さつまいもを広めたのは誰?
八代将軍(しょうぐん)吉宗(よしむね)のころに、蘭学者(らんがくしゃ)の青木昆陽(こんよう)によって全国に広められました。 今の埼玉県川越市(かわごえし)あたりはサツマイモの産地で、江戸から十三里(じゅうさんり)あったので、ここから来る焼きいも屋のことを「十三里」とよんでいました。
サツマイモの普及に努めた学者は誰?
目黒と青木昆陽 サツマイモの普及に努め、栽培奨励を幕府の政策に乗せたのが甘藷(かんしょ)先生として有名な青木昆陽(1698から1769)である。 昆陽の墓が、目黒不動瀧泉寺の裏手にあるのをご存じだろうか。1 окт. 2013 г.
