東京から35キロ以上も離れていながら、川越が「小江戸」と呼ばれるのはなぜだろうか。 それは、江戸や徳川将軍家に深い関わりがあったからだ。 初代将軍・徳川家康と2代・秀忠は、何度もタカ狩りで川越に出遊した記録がある。 川越は江戸の北側を守る重要な地。 1 апр. 2019 г.
川越 蔵 なぜ?
川越は江戸文化圏内にあり、一流の商人であることの証が、漆黒に輝く「江戸黒」の蔵を建てることだったのだろう。 そこで、明治の大火を体験した川越商人たちは、江戸の蔵造りを手本にして粋で防火性能の高い「江戸黒」の蔵を競うよう川越に建ていくことになる。 「江戸黒」の壁は、白い漆喰壁の上に「黒漆喰」が薄く塗られてできている。
川越はなぜ人気なのか?
都心からのアクセスのよさに加え、“蔵造りの町並み”を中心とする歴史的な景観保存・活用による、観光地としてのブランディングに成功したのが主な理由だろう。
なぜ川越は小江戸なのか?
川越が「小江戸」と呼ばれるのは、江戸時代に徳川将軍家や江戸と関わりが深かったから。 初代将軍・徳川家康と2代・秀忠は鷹狩りで川越に出遊した記録があります。 また、川越藩は初代藩主を酒井重忠が務めたほか、松平信綱や柳沢吉保など大老や老中など幕政を担う重臣が藩主を務めています。
時の鐘 なぜ?
時の鐘は、寛永4年(1627)から同11年(1634)の間に川越城主酒井忠勝が、多賀町(いまの幸町)の現在の場所に建てたものが最初といわれています。 創建された江戸時代の初期から、暮らしに欠かせない「時」を告げてきた小江戸川越のシンボルです。 現在の鐘楼は、明治26年(1893)に起きた川越大火の翌年に再建されたもの。
