川越にサツマイモのイメージが定着したのは、寛政時代(1700年代末)のことで、このころの江戸では焼イモが大ヒットしていたんだ。 理由は、サツマイモが庶民の食べ物では、数少ない甘い食べ物であったこと、そして、とても安く手に入ったからなんだ。 この大ヒットを受け、近郊の村々では、こぞって江戸向けのサツマイモを栽培したんだ。 3 янв. 2015 г.
関東 台地 さつまいも なぜ?
川越藩領のある武蔵野台地は、火山灰土である関東ローム層で覆われていて農業は厳しいとされていました。 そこで南永井村(所沢市)の吉田弥右衛門は、上総から種いもを取り寄せ、飢饉に強いというさつまいもの栽培を始めました。 そこから近隣の村々にも広がり、川越藩でさつまいも栽培が定着していきました。
青木昆陽 さつまいも なぜ?
青木昆陽とサツマイモ 青木昆陽は享保の大飢饉に際して将軍徳川吉宗によって登用された人物で、著作『蕃藷考』(1735)の中で飢饉のときの代用作物として栽培を奨励し、その結果サツマイモの栽培が急速に全国に広まりました。 ... この功績によって青木昆陽は「甘藷先生」とも呼ばれています。
さつまいもはどこから来たの?
サツマイモは、メキシコを中心とする熱帯アメリカで生まれました。 紀元前800~1000年ごろには、中央アンデス地方でサツマイモがつくられていたのです。 紀元前200~600年につくられた、サツマイモをかたどった土器も見つかっています。 ペルー北海岸のあたりで栄えたモチーカ文化のものです。
川越 芋 いつから?
川越いもの栽培は、1751年から始まりました。 さつまいもの普及を図り、「甘藷先生」と呼ばれていた青木 昆陽(こんよう)が栽培法を確立してから、16年後にあたります。 川越地方で初めてさつまいもの栽培が行われた場所は、現在の所沢市南永井だったそうです。
